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皆さんこんにちは。第一回は映画の話です。

先日ネットで昨年2020年に封切られた禁断のスクープ映像『三島由紀夫vs東大全共闘』を観ました。(良い時代になりました。)

1000人の東大全共闘を相手に校舎に乗り込み、警備も拒否して一人で挑んだという三島由紀夫。

「近代ゴリラ」と揶揄されてもユーモアでかわし、殺気立った若者たちを相手に理を尽くして討論する当時40代の三島がそこに居ました。

世界的文豪三島を私ごときが語ることなど決して出来ません。

ただ、以前高梁市成羽美術館で観た写真『三島由紀夫』(篠山紀信が1968年に撮影、樹に両腕を括り付けられた裸体の三島の上半身に3本の矢が突き刺さっているという構図の写真)に自分の理解を超えた世界を感じてきました。

ですが、この映像に登場する三島は、抵抗し難い魅力に満ち満ちていました。

対する若者達は闘争的で危険極まりないムードに満ちている。

けれど、彼らも三島と同じく日本を憂いている。

何か行動すべきだと立ち上がっている。

三島は彼らに「わたくしは諸君の熱情は信じます。

他のものは一切信じないとしても、これだけは信じる、ということをわかっていただきたい。」と訴えます。

多様性の受容や共生の実践は、言葉で語るほど容易なものではありません。

違いを大事にするということは、放置し、無関心でいることではなく、同じ方向に向かわせるよう誘導することでもなく、まず向き合うことから逃げないことなのだと改めて考えさせられました。

今ではなかなか見られなくなった圧倒的な「熱量」に何かを掻き立てられ、なんだかわからないけど、力が湧きました。

もっと内側から何かを奮い起こさねば、生きる面白みもないではないかとさえ…。

映画は、いつの間にかどこか守りに入っていた私自身に喝を入れてくれたのだと思います。

ところで、この映像の中には赤ちゃんを抱いて登場し、タバコふかしながら議論を戦わせる東大生がいるのですが、彼、芥正彦は劇作家・舞踏家・俳優・演出家で、劇団ホモフィクタスの主宰者です。

実は私、大学時代(1980年代)に彼の舞踏作品「エゴン・シーレ」に出演させて頂いたことがあります。

ご紹介した映像は1969年の記録なので彼は20代だと思いますが、一目見てああそうだ、こういうオーラの人だったと懐かしく思い起こしました。

芥さんからしてみれば私など一切記憶にないでしょうが、私の人生においては最初で最後の「舞踏」舞台への出演でした。この時のお話はまた次回お楽しみに。

岡本悦子