会員の部屋! NO.17-1

「そろそろ会員のページいかがですか?」とこのページのご担当の原田祐子先生に優しくお声かけいただきました岡本悦子(おかもとえつこ)です。随分と遅れてしまいました。すみません。

2012年度ODLN立ち上げ時にうっかり会長を引き受けすることになり、以来10年間は右往左往と綱渡りの連続でした。

コロナ禍真っ只中で本部と共催した2021年度のダンスムーブメントセミナーは、人間愛とダンス愛に溢れる有能な皆さんが存分に「繋がる力」を発揮してくださったおかげで成功裡に終えることができました。

あらためましてこの場をお借りしてセミナーにご参加くださった全国の皆さん、そして奮闘してくださった会員の皆さんに厚く御礼申し上げます。このセミナーを機に私は役を引かせていただき、今は若手の皆さんの活躍に感謝と期待を込めてエールを送っています。

さて、このコーナーは「ダンスと私」の関わりについてでしたね。

米軍基地のある佐世保で生まれ育った私は、小1から中3まで続けたバレエクラスで駐留米軍を父に持つ友人をはじめ、様々な国籍の仲間と一緒に踊ってきました。

彼らの自宅には当時の家庭には珍しい洋式トイレやプールがあって驚き、日本人の友人たちがレオタードを選ぶ際に周囲から浮かないような色選びをするなか、白人系や黒人系の友人らはまず「自分の肌に似合う」色選びをしていたことが新鮮な発見でした。

また手足の長い彼らが舞う姿と彼らよりバレエ歴が長くテクニックが優っていると思われる日本人の友人たちが舞う姿を比較しながら「バレエらしい美しさ」とは何か、足の短い私は踊って良いものだろうか?と複雑な気持ちになったことを思い起こしています。

それでも中学2年生の時、『白鳥の湖』第2幕のオデット姫を踊らせてもらった経験は今でも忘れられない思い出です。

なんと王子役は亡き井上博文氏。「井上博文によるバレエ劇場(現在井上バレエ団)」(東京)の主宰者が直々に王子役を買って出てくださり、中2の夏休みは寝台列車さくらで佐世保から東京に通って練習しました。

その後は学業との両立や経済的な事情から、高校入学と同時にバレエを辞めることになったのですが、当然ながら私にとって体を動かさない青春はありえません。

似てるかも!と思った器械体操部に飛び込みました。しかし、床運動や平均台にはまだなんとか「踊る」感覚があるものの、跳馬や段違い平行棒には恐怖しかありません。

全身に青あざや擦りむき傷をこさえ捻挫に苦しみながら「辞めたい、辞めたい」と胃の痛い時期が続きました。

それがやがて「でもちょっと面白いかも」になり、「だいぶ面白いわ、これ」になり、結局インターハイに出場した頃には上半身が発達しましてゴリラのような筋肉質体型になっていました。

その2に続く・・・

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